「布袋寅泰」・・・あなたはこのお正月感満載の、あるいは生粋の下町育ちらしい気風に溢れた名前をすぐに読めますか?
”ホテイトモヤス”・・・そうです、トラヤスではなく”トモヤス”
有名すぎて読めなくても読めてしまう、もはや”音と化した名前”といっても過言ではないでしょう。
伝説のバンド”BOØWY”のギタリストにして日本屈指の”ギターヒーロー”である布袋寅泰さん。
華やかなキャリアを誇る布袋寅泰さんですが、そのルーツが韓国にあることや、複雑な境遇による父親との確執があったことをご存知でしょうか?
これまでの生涯においても、また一方ならぬエピソードに包まれていることはあまり知られていません。
今回は、そんな日本が誇る”世界的ギターヒーロー、布袋寅泰さんの生い立ちや家族にまつわる話題に焦点を当てて迫ってみました!
布袋寅泰のプロフィール!在日で本名は違うの?
- 本名:布袋寅泰(ほていともやす)
- 誕生:1962年2月1日(62歳)
- 出身地:群馬県高崎市江木町 現在はロンドンに在住
- 身長:187cm
- 血液型:B型
- 学歴:新島学園高等学校(中退)
布袋寅泰さんは自らの生い立ちや境遇について、2006年に出版された自叙伝「秘密」でカミングアウトされています。
父親は韓国人の貿易商人でかなりのお金持ちだったようですが、韓国にも別に家庭を持っていたため、布袋寅泰さんの母親は”日本における妻”、つまり愛人的な位置づけだったということです。
多忙のため家庭で生活を共にすることは稀で、毎日の暮らしはほぼ母子家庭のような状態で過ごしていたということですが、
父親が貿易商として成功していたおかげで暮らしぶりはかなり裕福だったそうです。
通っていた新島学園高等学校も私立のミッション系中高一貫校ということで、そういったところからもやはり恵まれた生育環境であったらしいことは伺い知れるといった印象です。
高校三年生当時、「髪が長い」と生活指導を受けた際に、「イエス様のほうが僕より長い」と反発したことをキッカケに、最終的には中退という道を選んでしまうというエピソードはなかなかの妙味です。
「イエス様の長髪」を引き合いに出す向こう意気の強さはさすがのロックさながらといったところですが。
それにもまして、若かりし日の布袋寅泰さんの口から「イエス様」というワードが飛び出してしまうという事態が、何よりもエキセントリックな衝撃がほとばしるエピソードと言えなくもありません。
楽曲の歌詞やSNSのコメントなどにおいても、比較的ムーディーな言葉選びを用いることが少なくない印象の布袋寅泰さん。
言葉選びの美学の片鱗は、すでに学生時代から育まれていたものなのかもしれません。
母親はロシア系とアイヌの血を引くハーフなのだそうですが、北海道余市町生まれの日本国籍を持つれっきとした日本人ということなので、
布袋寅泰さんの名前が通り名などである可能性は低そうです。
同じくBOØWYで活躍した”伝説のボーカリスト”氷室京介さんの本名が「寺西修」さんである、ということは比較的簡単に知ることのできる事実です。
布袋寅泰さんについても本名として記載されている記事は容易に見つかるのですが、
Wikipediaなどでは本名ではなく出生名といった少々たどたどしいような記述がなされていることなどから、その出自も含め徒な邪推を招きやすくさせる部分もあるのかもしれません。
本人以外には知られざるエピソードも含め、その全てが布袋寅泰さんを”ギターヒーロー”たらしめるかけがえのないファクターとなっていることを思えば、あまりにも小さな話に過ぎないことは言うまでもありません。
布袋寅泰の生い立ちが壮絶!在日韓国人の父親との確執とは?
布袋寅泰さんの父親は貿易商で海外を飛び回ってばかりで、布袋寅泰さんと父親との関係はかなり疎遠なものだったようです。
そして、布袋寅泰さんが高校三年生の頃に傾いた事業の借金を残して、父親は家族の前から姿を突然消したのです。
父親の失踪と布袋寅泰さんの高校中退は奇しくも時期が一致してしまうのも、多感な年頃だったことを想像すれば決して無関係ではなかったのではないのかと想像させられます。
母国に家族を持ちながら母親を愛人として養っている父親を、父親らしい人間とは受け止め難く拒絶するしかなかった中での突然の失踪は、
年頃の少年には受け止めがたい理不尽以外の何物でもなかったことは想像に難くありません。
豪邸暮らしの裕福な暮らしから一転して貧しいアパート暮らしという、とても苦しい生活を強いられたころの思いを布袋寅泰さんは韓国人の血を引く自身のルーツにも触れながら
「アウトサイダーとして生きざるを得なかった」と自著の中で述懐しています。
布袋寅泰さんの父親がはもうすでに亡くなっており、失踪してからは一切顔を合わせることはなかったのだそうです。
その後、布袋寅泰さんは自身の心境について2009年6月21日のブログで述べています。
俺の父…。
1988年4月4日。
BOφWYの解散コンサート。
あの日、俺の父は東京ドームの外で会場から漏れ聞こえる音に耳を澄ませていたと後に知った。
息子に拒絶された父は、どんな気持ちでそこにいたのだろう。
誇らしく思ってくれたのだろうか?
それとも自責の念に苦しみ、血のような涙を流していたのだろうか?
時は流れ、父の子もまた、今は父。
いつの日か、異国の地に父の墓を探し、花を供えたいと思う。
願わくば雨の日に。
降り注ぐ雨で涙を洗いながら一言捧げたい。
「ありがとう」
と一言だけ。
当時は受け止められずにいたはずの父親の気持ちが、布袋寅泰さん自らも父親になることで少しづつ受け止められるものへと変わっていったということなのでしょう。
そういった布袋寅泰さんの気持ちの変化には、懸命に家族を支えてくれた母親の存在というものがやはり大きかったのではないでしょうか。
どんな時も明るく天真爛漫だった布袋寅泰さんの母親が、父親の残した借金を背負って全てを返し終えたことが、
失踪してしまった父親という存在や人格をむしろ如実に物語ってくれている気がしないでもありません。
無くなってはしまったけれど、それにしても父親のおかげで一家がとても裕福な生活を送らせてもらえたことを、母親はちゃんと理解していたのではないでしょうか。
その感謝があったからこそ、借金を背負いながらも残された家族を支え続けられたのではないでしょうか。
こちらは布袋寅泰さんの母親です。
とてもいい写真ですね・・お人柄が伝わってきます。
布袋さんは2013年9月18日の自身のブログで母親について語っています。
母は美しい人だった。カサブランカのように気品に溢れ、紫陽花のように優しく、向日葵のように眩しい人だった。棺の中に入っても、その美しさは変わらなかった
「時代」と一言で言ってしまえばそれまでのことなのかもしれませんが、こうして僅かばかりでもエピソードに触れる中で思わされることは、
布袋寅泰さんの父親は日本の家族のことを決して疎かになどしてはいなかったのではないのか、ということです。
人並みより裕福な暮らしの裏返しはまた人並みではなかろう、ということは誰よりも布袋寅泰さんの母親が然るべく覚悟して受け入れた単なる事実に他ならず、
むしろ失踪した者への変わらぬ愛情や思いやりのようなものをひしひしと感じさせられる気がします。
そして、残された家族のために乗り越えないわけにはいかないという覚悟のようなものこそを強く思わされます。
つまりそれは父親にとって日本の家族が、母国にいる家族と全く変わらない、とても大切な家族であることを母親にちゃんと伝えられていたこと、受け入れられていたことの証明のようにすら思えなくもありません。
ただ、まだ多感な青年時代の只中にいた布袋寅泰さんには、あまりにも酷な出来事であったこともまた、偽りようのない事実には違いなかったのでしょう。
音楽を担当しながら自らも役者として出演した映画『SF サムライ・フィクション』(1998年公開)のプロモーションで訪れた韓国で、布袋寅泰さんは現地に住む異母兄弟から手紙を受け取ったというエピソードを明かしています。
まさに映画のような話ですね。
布袋寅泰の実家住所は高崎で焼き肉店経営してる?
布袋寅泰さんのご実家がとても裕福な暮らしをしていたというエピソードについては、様々なメディアで確認することができました。
その内情については父親が貿易商として成功していたということ以外には、母親が高崎駅前でクラブを経営していて、その後同じ場所で焼き肉店を始めたらしい、といった極めてシンプルな情報しか見当たりません。
韓国籍の父親と知り合ったことで焼き肉店を始める、といった変化はある意味とても想像しやすいですが、やはり具体的なエピソードは見つかりませんでした。
氷室京介さんのご実家がかつて精肉店を営まれていたことは広く知られている事実ですが、そんなことも相まってか、布袋寅泰さんの情報として混同されている部分があるのではないか?
といった勘繰りも頭をもたげてくるのですが、やはりそれと思わしき情報に辿り着けないかぎり想像の域は出ません。
布袋寅泰に兄弟はいる?妹はバンドボーカルだった?
布袋寅泰さんに妹さんがいらっしゃることはご存知でしょうか?
1990年~1994年まで活動していたGRAPAGOSというバンドの紅一点ボーカル「狩野環さん」が布袋寅泰さんの実妹なんです。
GARAPAGOSは、当初の予定では1枚のアルバムリリースのみで解散するはずだったのですが、レコード会社の意向により都合3枚のアルバムをリリースしたのち、解散しています。
予想以上の反響が得られたということだったのではないでしょうか。
1997年にSUPER EGOというバンドを結成し、狩野環さんはバンドメンバーのドラムの方と(岡崎牧人さん)と結婚されたと言われています。
バンドとしての目立った活動の情報にも辿り着けなかったのですが、一部の情報によると下北沢のライブハウスを拠点として活動されていたようです。
また、狩野環さんの長女も”タグチハナ”の名義でシンガーソングライターとして活躍されているそうです。
まさに”音楽遺伝子家系爆誕”といった感じですね。
メロウなアコースティックサウンドがうるうるしていて可愛らしいです。
経済的には恵まれていたものの、その複雑な家庭環境によって悩み多き青春時代を過ごしたのかもしれない布袋寅泰さん。
終始貫かれた”ロックギタリスト”としての強烈な魂によって、今や世代を跨いで活躍する”アーティスト一族”として確かな絆を築かれています。
二度と言葉を交わすことのない父親との確執すらも乗り越えて、布袋寅泰さんはアウトサイダーなどではない”家族”というかけがえのない繋がりをますます実感されているのかもしれません。
世界のステージに君臨する”ギターヒーロー”布袋寅泰さんの知られざる一面に迫ってみました。
ありがとうございました。
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