2005年11月6日に、多くの人に惜しまれながら亡くなった本田美奈子さん。
今回は、本田美奈子さんの死因や闘病生活の裏話についてまとめていきます。
また小林麻央さんと死相が似ているとも言われているとか…気になる方は続きをどうぞ!
本田美奈子のプロフィール
- 本名:工藤美奈子
- 生年月日:1967年7月31日
- 享年:38歳(2005年11月6日)
- 出身地:東京都葛飾区
- 身長:162cm
- 体重:43㎏
アイドル歌手からミュージカル女優に転身し活躍していた本田美奈子さん。
2005年11月に38歳という若さで亡くなり、世間に大きな衝撃を与えました。
本田美奈子さんの死因は一体何だったのか、次の項目で詳しく見ていきましょう。
本田美奈子の死因は白血病!
本田美奈子さんの死因は「白血病」でした。
2004年からその兆候が現れていたようで、白血病の診断を受けてすぐに入院したそうです。
本田美奈子さんの白血病は、治療を行っても効果が見られなかったり、効果が見られてもだんだん減弱して再発してしまう「治療抵抗性」のものだったと言われています。
その後は臍帯血移植を受けて一時退院したそうですが、再び再発してしまい、同年9月には再入院し抗がん剤治療を受けたそうです。
臍帯血移植とは臍帯血に存在する造血幹細胞を、白血病などの重篤な血液疾患患者に移植して、骨髄機能を正常にする治療法です。
そのような状態で入退院を繰り返していたようですが、肺への合併症を起こしたことで容態が急変し、2005年11月6日に亡くなりました。
本田美奈子さんは、言葉では言い表せないほどつらい思いをしていたことでしょう。
本田美奈子の闘病生活の裏話
本田美奈子さんは闘病生活を送る中で骨髄移植も検討されており、本田美奈子さんに合う骨髄提供者(ドナー)も探されていたようです。
しかし、適合者が見つかるまでには数か月かかるということが分かり、臍帯血移植を受けたと言われています。
美奈子の病気は、急性骨髄性白血病のなかでももっとも治る可能性が低い、発症率200万人に1人といわれる難治性のものでした。
通常、7割近い人が10日間1クールの抗がん剤治療で骨髄中の白血病細胞が5%以下になり、一時的によくなった状態である「寛解(かんかい)」に入ります。しかし彼女の場合、1クールの治療で50%も残ってしまった。母親と僕が呼ばれて、非常に厳しい結果であると告げられました。
その後、2クール目の抗がん剤治療を行うことになったのですが、10日間続く治療は心身に相当の苦痛を与えるうえ、1クール目の副作用で口のなかは口内炎だらけ。話すのはおろか、痛くて水も飲めないような状態のなかで、本人も「どうして2回もやらなきゃいけないの?」と嫌がりました。
それでも、よくなる可能性があるからと先生方に説得され、2月初旬に2クール目の抗がん剤治療を行いました。
しかし、その結果は18%で寛解に至りませんでした。この数字は先生方の予想をも裏切るほど悪いもので、家族が呼ばれて「これが最後かもしれない」とまで言われました。そんなこと本人には言えないし、僕らはどうしていいかわからず、辛い日々でした。
骨髄移植*1をすべく美奈子に合うドナー(骨髄提供者)探しもはじまりましたが、適合者が見つかるまでには数ヵ月もかかるとわかり、断念。
病状が予断を許さなかったため、臍帯血移植*2に踏み切ることになりました。すると、ほどなくして適合する臍帯血が見つかり、美奈子もこれに希望を見出しました。
そして、3月に入ると移植に備えた3クール目の抗がん剤治療が行われることに。3クール目はさらにきつい治療で、高熱が続き、非常にひどいだるさにも悩まされました。また並行して実施した放射線治療での照射は彼女にとって辛い痛みを伴いました。
しかし、美奈子は耐えに耐え、ついに4.8%という寛解に入ったのです。5月12日には臍帯血移植も行われました。臍帯血移植後、状態は一進一退しながらも経過は順調で、7月30日には一時退院できることも決まったのです。
それから1ヵ月ほど、自宅で穏やかな日々を過ごしました。その間の美奈子は、食欲もあり顔色もよく元気でしたし、週に一度、都内の病院で受ける検査の結果も良好で、僕はこんな状態がいつまでも続けばいいと祈らずにはいられませんでした。
ところが、8月24日に受けたマルク(骨髄穿刺/こつずいせんし)という検査の結果が悪かったため、病院に呼ばれました。そして、染色体の異常が見つかったこと、つまり再発したことが告げられたのです。9月7日、美奈子は再び緊急入院することになりました。
その後、先生方と治療方針を話し合い、アメリカで開発された新しい抗がん剤を使ってみることになりました。この新薬で効果が出ている人も多いと聞いた美奈子は、再び病気と闘う覚悟をしたようでした。
高熱が続き、口内炎が口中に広がるため、食べるどころか水さえも飲めず、話すこともままならないような状態になりました。
かわいそうで見ているのも辛いほどなのに、それでも美奈子は「ごめんね、ごめんね」と僕らを気遣っていました。
10月になると状態がいい日もあり、そんなときは自宅に戻って数日を過ごしました。しかし、元気に見えてもがんは進行し続けていたのです。
医師は、できるだけ自宅で過ごせるようにと外泊を許可。とても喜んだ美奈子さんは、お見舞いに来た高杉さんに、その週の土曜日に自宅に帰れることを満面の笑みで報告しました。その笑顔に安堵した高杉さんは、翌日の訪問を約束して病室をあとにしました。
ところが容体が急変。そして、11月6日早朝、美奈子さんは両親と妹、そして高杉さんの家族に見守られるなか、静かに息を引きとりました。
その顔には、安らかな微笑みが浮かんでいたそうです。
どれだけ壮絶な闘病生活だったのか。。。きっと私達が想像している以上に過酷だったのではないでしょうか。
またこんなエピソードも。
2005年の7月30日、38歳の誕生日の前日に、お誕生日を埼玉県朝霞市の実家で大好きな家族に囲まれて過ごすため、一時退院する美奈子さんを、医師や看護士らが見送りました。
お世話になった人たちの前で美奈子さんは、「私にできることは歌しかないから」と、「アメイジング・グレイス」を歌い、感謝の気持ちを伝えました。
その歌声は、少し前まで生死の境をさまよっていた人のものとは思えないほど豊かで美しく、聴いた人は思わず涙してしまったそうです。
病気でどんなに辛くても、思いやりの優しい気持ちを忘れないのは本当に素晴らしいですね。
画像でも分かるように、本田美奈子さんはパジャマの色と合わせたバンダナを付けたりして、闘病生活中もさり気ないおしゃれを楽しんでいたそうです。
本田美奈子さんはとても強い方だったんですね。
本田美奈子の死相が小林麻央と似てる?【画像】
2017年6月に乳がんで亡くなった小林麻央さんと、本田美奈子さんの死相が似ていると言われているようです。
果たしてそれは本当なのでしょうか?画像で見比べてみましょう。
闘病中の小林麻央さんの画像がこちら。
そして本田美奈子さんの画像がこちら。
バンダナの色が似ていることもありますが、それを除いても涙袋あたりが膨らんでいたり、顔色が同じだったり、確かに似ているように思います。
しかし驚きなのは、つらい状態であるにもかかわらず2人が笑顔で写っていること。
例え公に出る画像だと分かっていたとしても、笑顔でいるのはとても凄いことですよね。
本田美奈子さんは、今でも多くの人を魅了しているようです。
本田美奈子さんが歌ったクラシックは大好きで折にふれ聴いている。
— chizue (@chizuemama) 2019年1月23日
本田美奈子さん可愛すぎん…?大天使やん…歌うまいしなに…?
— 海野うに🍤 (@u_n_i_oO) 2019年1月22日
歌姫 本田美奈子.さん
どんな時でも、笑顔を絶えさせない
美奈子さんを見習っています😊😔 pic.twitter.com/V71Nz5naol— ちび菜あきら (@Nb7pcTVduYf7BB2) 2019年1月22日
本田美奈子さんのon my ownすごすぎる
— キュア羽矢菓子* (@meine_SELMER) 2019年1月22日
以上、本田美奈子さんの死因や闘病生活についてまとめました。