松田優作さんといえば、刑事ドラマ『太陽にほえろ!」のジーパン刑事を演じた時のセリフ
「なんじゃ こりゃあ!」と 『探偵物語』のイメージが強い俳優さんですね。
松田優作さんは若くしてお亡くなりになりましたが、死因は膀胱がんだったと言われています。
松田優作さんが病気と戦いながらも、最後まで役者魂を貫いたエピソードについて今回はまとめていきます。
松田優作の死因は膀胱がん!本当は治る可能性もあった?
『華の乱』は吉永小百合さんが与謝野晶子、松田優作さんが有島武郎を演じた映画。
鉄幹は緒形拳#マツコの知らない世界 pic.twitter.com/xnVQj7Zxu7— イナトキ (@mm_or_intk) March 6, 2018
松田優作さんと吉永小百合さん主演の映画『華の乱』(1988年)で撮影をしている頃から、松田優作さんは尿が出なくなりお腹がパンパンに張るようになっていました。
これが膀胱がん発症のはじまりでした。
1988年12月25日 前妻の松田美智子さんと 12歳になる娘の誕生日祝いの日の違和感
「(松田優作さんは)お酒も飲まないし、映画ではなく宗教の話が多かった。座禅がどうとか精神論を熱心に話すので何かあったのかなと気になりました。翌年の冬 膀胱がんで亡くなったと聞いてそうだったのかと。」
松田優作さんは身体の不調をどう受け止めていたのでしょうか。
そもそも、膀胱がんとはどんな病気だったのか?
松田優作の死因・膀胱がんとはどんな病気?
松田優作さんの死因とされる膀胱がんとはどんな病気なのか調べてみました。
膀胱がんは、尿路上皮ががん化することによって引き起こされます。
そのうち大部分(90%以上)は尿路上皮がんという種類ですが、まれに扁平上皮がんや腺がんの場合もあります。
引用元:がん情報サービス
症状としては、
- 赤茶色の尿(見た目は血尿)が出る。
- 尿意は頻繁に起こる。
- 排尿するときに膀胱に痛みを感じる膀胱炎のような症状。
比較的がんの進行がゆっくりなので早期の状態であることに気づきにくく、膀胱に症状が感じたときにはすでに筋層浸潤性がんや転移性がんであることもあります。
膀胱がんと診断された時は早期で医療機関にかかる必要があるそうです。
膀胱がんは、抗がん剤による化学治療と内視鏡で腫瘍を焼き尽くす手術と膀胱全摘除術によって行う外科的治療で、転移を避けることができます。
喫煙が膀胱がんのリスクが高くなると言われています。
松田優作さん以外に、膀胱がんを経験した芸能人で言えば、元プロボクサーの竹原慎二さん。
竹原慎二 愛妻が語った膀胱がん「余命1年」からの奇跡の生還 – BIGLOBEニュース https://t.co/IF3iCR1GjT pic.twitter.com/1MnBLFVAps
— BIGLOBEニュース (@shunkannews) July 21, 2017
そして、フリーアナウンサーの小倉智昭さんなどが挙げられます。
小倉さん膀胱がん!
週末から治療に専念。手術が無事に終わって1日も早く帰ってきてくださいね。 pic.twitter.com/7JyxsJEapI— kazu♡智Love♡山夫婦贔屓 (@31041103A) May 12, 2016
現在、お二人は完治して元気に復帰しております。
がんの死亡数の中で、膀胱がんは11位と死亡率は低いと考えられますが、他の部位に転移した時に痛みが強くなり死に至ることがある病気です。
松田優作は膀胱がんの治療よりブラックレイン撮影を優先
午後ロードで録画したブラック・レイン鑑賞。何度観ても素晴らしい作品。松田優作さん、膀胱がんを患いながらの佐藤の凶気の演技はさすが。もし御存命だったら日本のドラマ、映画史はどうなっていただろうな。 pic.twitter.com/exMUfcsyB4
— ラス力ノレ’20 (@rascalsa22c) November 7, 2018
松田優作さんは膀胱がんを患いながらも、映画ブラックレインの撮影に挑みました。
しかも、膀胱がんを隠してです。
そこには松田優作さんが作品にかける想い、病気だろうとも貫き通したい役者魂があったからだと推測します。
ここで松田優作さんがブラックレインに出演する経緯をまとめていきます。
1988年9月5日「ブラックレイン」の主要キャストである 佐藤役の最終オーディションがホテルオークラのスィートルームで行われました。
オーディションには25歳から40歳前半までの200人を超える俳優が参加。
目の前には監督のリドリー・スコット、主演のマイケル・ダグラス、プロデューサーのスタンリー・R・ジェッフェなどのハリウッド第一線で活躍するメンバーばかり。
オーディオ中には緊張のあまり声や手が震えてしまう人もいたそうです。
しかし松田優作さんは、まったく動じる事はなく堂々としていました。
最終選考に残ったのは日本の個性派俳優ばかりでした。
リドリー・スコット監督は松田優作さんが部屋に入るなり、言いました。
『早速で悪いが、マイケルとの台詞のやってもらえないか」
映画ブラックレインのDVDに収録されてる松田優作さんのオーディションシーンですねhttps://t.co/WwuLJApLhG
— SEPIA(やっちゃん) (@sepia_phantom) February 17, 2020
迫真なる狂気あふれる松田優作さんの演技にリドリー・スコット監督は「GREAT!」と叫びます。
その後すぐにため息をつく松田優作さん、やはり緊張していたのでしょうか。
そして映画がアメリカで公開されたのが1989年9月22日、日本公開は1989年10月7日。
この映画で松田優作さんの気迫ある演技は、世界で称賛されました。
ハリウッドへの階段が見えた時、1989年9月28日 松田優作さんは入院されました。
「ブラックレイン」での撮影での渡米前に体調不良で一時、入院。
その後も熱が下がらず、薬の力で熱を下げていました。
すでにこのころ、優作の体は病魔に冒されていたのです。
NYでの撮影中も血尿が止まらず、腰には激痛が走りましたが精神的充実感が痛みを忘れさせ、優作を演技に没頭させました。
実はそんな状態であったことは、スタッフの誰ひとり気づきませんでした。
膀胱がんであることを知っていたのは、妻の松田美由紀さんと、俳優の故・安岡力也さんのみだったと言われています。
近くにいた映画関係者にも一切、痛みを苦しみも打ち明けずに「佐藤」を演じきった松田優作さん。
今日は松田優作の命日だったのね(゜.゜)
膀胱がんのため、40歳で死去……
映画「ブラック・レイン」の出演を断り治療に専念していたら、もっと長生き出来たのか?
本人しかわからないですね……#松田優作 pic.twitter.com/gVc3oaA3tS— とおます (@lgted) November 6, 2017
「膀胱にこぶができた」と伝えるような親友にも、決して本音も弱音をみせなかった松田優作さんは、やはりブラックレインにかける想いは本物だったかもしれません。
松田優作さん行きつけの東京・下北沢のジャズバーオーナーで親友の 大木雄高さん談
松田優作さんよりブラックレインのオーディションの合格の吉報とともに『膀胱にこぶができて、医者から手術するか「ブラックレイン」を取るか決めろと言われた』と打ち明けられたが 深刻な様子はなく、【がん】 だとは思わなかった。
その後も会えば、映画の話ばかり。 1989年1月ロサンゼルスの撮影現場に招待された時もサウナで「血尿が出た」と漏らした時も 1989年9月に滞在先のタイで薬を飲んでいた時もつらそうな姿は見せなかった。
最後に会った9月21日の優作さんの誕生日でも病気の事は一切語らず、『日本の俳優としてアメリカに風穴開けるんだ』と映画への思いを話していた。
松田優作さんは、病の激しい痛みに耐えながら、写経をしたり仏像を彫ったりしていたといわれています。
そして、その裏側には「心の師」とした人物がいました。
『医師は優作と「心と心でつながっていた」「言葉を発しなくても通じ合っていた」と強調していたが現実的な病状の説明はあいまいだったように思える。
末期的症状を告げないことが優作に希望をもたらしていたのだろうし、医師の判断が間違っていたまでは言えないが、精神論がメインの会話だったとすれば、医師というより宗教家に近い。
最後の入院で「そんなに悪くなってるなんて、どうしてあなたはいってくれなかったんだ」と話した優作の言葉は医師への抗議の叫びではなかったのか。』
自身の病の苦しみを周りには打ち明ける事なく、心の拠り所は、主治医と心の師の存在が松田優作さんを支えていたのですね。
また、死の二日前には俳優の原田芳雄さんの目の前で泣きながら点滴を引きちぎったという話もあります。
痛みと苦しみながら、生きたい気持ちだったのでしょうか。
そして1989年11月6日 入院先の病院でわずか40年の生涯を終えられました。
直接の死因は、膀胱がんが腰に転移をした事によるものでしたが、もし治療に専念していれば治っていたかもしれませんね…。
松田優作の死因に怪奇現象が?
松田優作さんの親友でもあった、俳優金子正次さんの命日でもあります。優作さんより6年早く33歳で亡くなっています。『竜二』という素晴らしい映画を残してくれました。 pic.twitter.com/Ksh3q2sOGP
— 偏愛的70’s (@kakochan1972) 2017年11月6日
松田優作さんの死には不可解な点があったのです。
松田優作さんには金子正次さんという親友がいました。
金子正次さんは俳優で『竜二』という映画の主演・脚本を自主制作で完成させました。
映画会社に「松田優作主演ならいいよ」と言われましたが自己のプライドの為、金子正次さん自ら主演を務めました。
そして映画公開中の 1983年11月6日 胃がん性腹膜炎で死去されました。33歳でした。
松田優作さんは親友の金子正次さんと同じ「がん」、そして松田優作さんの命日である11月6日で死去されたのです。
偶然ともいいがたい事実に、怪奇現象と噂されたのが真実です。
もちろん因果関係はハッキリしていないため、単なる偶然かもしれませんが、松田優作さんと金子正次さんの縁深きを感じますね。
松田優作の死因は自殺や他殺の噂も?フリーメーソンも関係?
11月6日は、松田優作さんの
命日。あの衝撃の死から、今年
でちょうど30年。そのカリスマ
的存在感は、今なお失われてい
ない。 pic.twitter.com/WpgKqhyDgk— オダブツのジョー (@odanii0414) November 5, 2019
松田優作さんは、死のギリギリまで映画の撮影に臨み「ブラックレイン」公開中に亡くなった為、世間は急な死に、自殺や他殺ではないかと疑いました。
そして、死の原因も死後すぐに表明されず、後になってから「膀胱がん」であると知らされました。
そのため、松田優作さんの死について様々な憶測が飛び交い、自殺・他殺どころか「秘密結社フリーメーソンに暗殺された」というデマまで浮上。
世間は松田優作さんの突然の死を受け入れずに、色々な噂がたったようですが、これらは事実ではありません。
松田優作の葬儀写真やお墓の場所はどこ?
松田優作さんの葬儀の際に、妻・松田美由紀さんは出棺直前に「置いていかないで」と泣き叫び、
まだ死についてわかっていない長男の松田龍平さん(当時6歳)、次男の松田翔太さん(当時4歳)も一緒に涙を浮かべたそうです。
次女の松田ゆう姫さんはまだわずか2歳だった為、松田優作さんの死についてわからなかったようです。
兄のように慕っていた俳優の仲村トオルさんも遺体の前で「優作さん 早すぎるよ! 起きて下さい!」と泣き叫んだそうです。
家族にも、俳優仲間にも松田優作さんは慕われていたことがよくわかりますね。
そして松田優作さんのお墓は、東京あきる野市にある築地本願寺 西多摩霊園に眠っております。
霊園はかなり広いため、徒歩の人で来られる方はあまりおらず、お墓の近くまで自家用車で来られる方が多いそうです。
最寄りの福生駅からは平日(水曜日除く)は1時間に1本、無料送迎バスが出ているので、松田優作さんのお墓参りをされる方は利用してみてください。
松田優作さんは「お前たちは俺に絶対勝てない。なぜなら俺は‘’24時間映画の事を 考えている‘’からだ」 と自身の病の中でも役者人生を最後の最後まで全うされました。
美人薄命とは女性に使う言葉ですが、わずか40年で役者人生は20年くらいでしょうか。
短命ながら、記憶を残し結果を作り上げた人生は100年にも値するのかもしれません。
そういえば、2019年12月に亡くなられた俳優の梅宮辰夫さんも、がんを公表しませんでした。
「俺は俳優なんだ。使われなくなったら終わり」「がんのイメージがつくと仕事に影響するため」でした。
その後は、同じがんの人に希望を与える為、がんを乗り越えたことを公表していました。
他にも、何人もの芸能人が死の直前まで元気な姿で現場に来ていた話を紹介しています。
芸能人はいつでもどこでも、私たちの希望の光の存在なのかもしれません。
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