日本の第125代天皇・明仁さまの皇后である美智子さま。
現在は代替わりし、上皇后になられた美智子さまは、上皇になられた明仁さまと共に静かにお暮らしになられてます。
そんな美智子さまは90歳の現在でもお美しくて気品あふれる女性ですが、若い頃は、ものすごく美人で誰もが憧れてしまう存在だったとか。
今回は、上皇后美智子さまの若い頃の画像と歴史についてまとめました!
[say img=”http://geinoupanda.com/wp-content/uploads/2021/10/thumbnail.pagespeed.ce_.3vVY2EQOld.png” name=”パンダ編集長”]若い頃から現在まで美智子さまは美しいな。若い頃の写真、見てみたいで![/say]
上皇后美智子さまは若い頃からオーラがあって美人だった
上皇后の美智子さまは、若い頃からびっくりするくらいの美人です。
幼少期の頃からの歴史と画像を紹介していきますね!
小学校~高校時代
美智子さまは1934年10月20日に現在の東京都文京区で誕生されました。
- 日本製粉グループ会長である正田英三郎と妻・冨美との間に長女として誕生する。兄弟は兄が1人
- 雙葉学園雙葉小学校付属幼稚園を経て、1941年に雙葉学園雙葉小学校へ入学する
- 1944年、戦争での疎開の為に関東周辺で転校を繰り返すことに。軽井沢で終戦を迎える
- 1947年、当時の住まいの場所から通学を考え、聖心女子学院中等科に入学
- 1953年、聖心女子学院高等科を卒業
生まれた時から生粋のお嬢様であった美智子さま。
ご両親は教育に重きをおかれていて、美智子さまには
- 明治の婦道
- イギリス流の教養
を取り入れた教育をされていたそうです。
小学校時代の美智子さまは、
- 真面目な女の子
- 活発で勝ち気
- 神経質な一面もある性格
- スポーツが得意
- ピアノ・絵画・料理などを習っていて、多才だった
という女の子であったそうです。
努力家で勝ち気な性格の為、中高時代の成績は常にトップクラスだったそうです!
また、美智子さまは「ミッチー」「ミッチ」とお友達から呼ばれていたそうです。
当時の美智子さまの髪型がアメリカの子役、シャーリー・テンプルのようなかわいらしい天然パーマだった為「テンプルちゃん」というあだ名で呼ばれていたんだとか!
[say img=”http://geinoupanda.com/wp-content/uploads/2021/10/thumbnail.pagespeed.ce_.3vVY2EQOld.png” name=”パンダ編集長”]可愛らしいあだ名やな!愛されキャラやったんやな[/say]幼い頃の美智子さまは、姿勢がよく、理知的なお顔立ち。
着物をキレイに着こなすお姿は今と同じですよね。
この頃から可愛らしいというよりは、大人びた表情をされる美人タイプの女の子ですね!
大学生時代
1957年に美智子さまは、聖心女子大学文学部外国語外国文学科を首席で卒業されました。
在学中に中学・高校の英語教員免許を取得されたそう。
クラブ活動や委員など積極的に様々な活動を行う熱意のある学生だったみたいです。
特にテニスには熱中し、関東学生ランキング4位に入るほどの実力。
卒業式では、代表として答辞を読んだそうですよ!本当に優秀な方だったんでしょうね。
美智子さまは、大学卒業後にさらに勉学を深めたくて大学院への進学を希望されていたみたいです。
ご両親の意向もあって、断念されたようですね。
積極性があり、頭の良さそうな女性に見えますよね。
意見をしっかり持った、意志の強い女性のように感じます!
皇太子さまと出会った頃
美智子さまが大学を卒業されたのは1957年。
その年の8月に長野県の軽井沢会テニスコートで開催された、テニストーナメント大会で当時、皇太子であった明仁親王と美智子さまは初めて出会われました。
明仁親王も美智子さまもテニスに夢中であった為、テニスを通して交際を深めていきました。
美智子さまはテニスの試合では、皇族の方が相手であろうとまったく遠慮せず全力で勝負していたとか。
そんな勝ち気な性格が新鮮でもあり、明仁親王は美智子さまに恋してしまったのでしょう。
このお2人の出会いは「テニスコートの出会い」として有名になり、今でも語り継がれています。
こんなにキレイな人に出会ったら、ひと目で恋に落ちてしまいますよね!
[say img=”http://geinoupanda.com/wp-content/uploads/2021/10/thumbnail.pagespeed.ce_.3vVY2EQOld.png” name=”パンダ編集長”]素敵すぎるな![/say]ご結婚された頃
皇太子・明仁親王と美智子さまの結婚が決まったのは1958年のこと。
当時は「皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然」と考えられていたので、ご結婚が決まるまでには猛烈な反対や反発にあっていたようです。
そんな中でも負けずにご結婚されるほど、お2人の意志は固く、この人しかいないという思いが強かったのでしょう。
この頃の美智子さまはよく報道されていて、その美しいお姿やファッションセンスの良さ、着こなしや上品さが話題となり、多くの国民(特に女性)が美智子さまに憧れていました。
美智子さまのような髪型やファッションをマネする人が続出し、ご成婚時には「美智子さまぬりえ」が発売されるほど。
カリスマ性のある皇太子妃になられ、「ミッチー・ブーム」と呼ばれる社会現象にもなりました。
[say img=”http://geinoupanda.com/wp-content/uploads/2021/10/thumbnail.pagespeed.ce_.3vVY2EQOld.png” name=”パンダ編集長”]お人形みたいなお姿やで。ぬりえになるのも納得ほど絵になる女性や![/say]ご結婚されてからも内部での反発は強く、心身疲労で静養されたりと大変なこと続きであった美智子さま。
そんな中でもなんとかご自身を保ち、国内はもちろん海外でのご公務も気丈におこなっていた美智子さまは、本当にすごい方です!
苦労が多い美智子さまの支えとなったのは子供達。
特に唯一の娘である紀宮様は大きな心の支えであったとか。
上皇后美智子さまの若い頃に対する海外の反応
海外でのご公務も積極的に行っていた美智子さま。
若い頃の美智子さまは海外でも美しいと評判だったんです。
特に美智子さまのお着物姿は、海外の多くの人達の心をつかみ、美しすぎると絶賛されていました。
- 着物姿が美しすぎる
- 女優より魅力的な人
- 公務での子供への対応が素晴らしかった
- 優しさにあふれている
- 所作の一つ一つに品がある
- 美智子さまを見ていると、日本が素晴らしい国だということがわかる…など
海外でも日本と同様に人気が高かったことがわかりました!
海外でも美智子さまの見た目の美しさだけでなく、所作なども評価され、内面の美しさに対しても注目が集まっていたみたいです。
まとめ
今回は、上皇后美智子さまの若い頃の画像と歴史についてまとめました。
美智子さまの若い頃は、本当にびっくりするくらい美しかったですね!
幼少期から現在まで、ずっと1本芯の通った強い心と絶え間ない努力で歩んできた、外面も内面も美しい美智子さま。
皇后様になられてからはなお一層、気を張り続けて心が休まらない日々を長年過ごされたのでしょう。
これからは、ぜひ、上皇さまと仲良く心休まる時間を過ごしていただきたいです。
[say img=”http://geinoupanda.com/wp-content/uploads/2021/10/thumbnail.pagespeed.ce_.3vVY2EQOld.png” name=”パンダ編集長”]美智子さまの元気なお姿を、たまにでも良いから拝見できるとええなぁ[/say]
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