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ダイアナ妃の事故写真『本物』が流出!暗殺説にエリザベス女王関与の真相!

英国民から“ダイアナ妃”として絶大な人気を誇っていたダイアナ・フランセス氏。

清楚なルックス・高いファッションセンス・地雷やエイズへの慈善事業など彼女の魅力を挙げたらキリがないほどの女性で、ロイヤルファミリー史上最も人気のある女性の1人といっても過言ではないと思います。

 

しかし、光があれば影もありチャールズ皇太子との離婚や過食症に苦しみ、最後は自動車事故で36歳という短すぎる生涯にピリオドを打ちました。

 

今回は「本物」と思わしき事故写真が流出したというニュースの真偽、事故死自体に暗殺説があること、その裏で誰が事件に関与しているのかなどを探っていきます。

悲劇の王妃のヒストリーをしかと見届けてくださいね。

 

ダイアナ妃の事故写真『本物』が流出?死亡事故の経緯とは?

チャールズ皇太子とダイアナ元妃は1981年に結婚し英国中の祝福を受けました。

しかし結婚の際にチャールズ皇太子「ダイアナ元妃に恋をしているか」と記者に問われ、

「ええ。恋が何かによりますが。」と語ったようにうわべだけの婚姻関係でした。

 

チャールズ皇太子はもともと交際していたカミラ・ローズマリー・シャンド氏に心を残しており、結婚してしばらくすると泥沼ダブル不倫状態に発展します。

この2人の関係をダイアナ元妃は結婚前から勘付いており、ストレスから拒食症の症状が進行していきます。

 

さらにダイアナ元妃の友人としてチャールズ皇太子に近づいたデイル・トライオンとも関係を持ってしまい、2人の愛人との関係が世に知れ渡るとダイアナ元妃の心はついに壊れ自傷行為にも発展したとされています。

そんな婚姻生活は続くはずがなく、1996年に離婚が成立するのです。

 

ほどなくして恋愛関係が噂される男性が2人現れますが、そのうちの1人がダイアナ元妃とともに自動車事故で亡くなったドディ・アルファイド氏です。

この事故死が1997年という離婚からわずか1年という短い期間で起こった事を踏まえると、ロイヤルファミリーに迎えられてからいかに激動の人生を歩んできたのかを改めて感じますね。

それでは事件当日一体なにが起こっていたのか、そして事故現場で撮られたとされる写真について見ていきましょう。

 

 

ダイアナ妃はパパラッチに追われてコンクリートに正面衝突

1997年8月31日深夜パリの街でダイアナ元妃を乗せた車とスクープを狙うパパラッチの車がカーチェイスを繰り広げました。

その結果、ダイアナ元妃はこの世に早すぎる別れを告げることとなりました。

ダイアナ妃を乗せた車に乗車していた人物は、

  • 運転していたドライバーであるアンリ・ポール氏
  • ダイアナ元妃の最後の恋人であったドディ・アルファイド氏
  • ダイアナ元妃のボディーガードのトレヴァー・リース=ジョーン氏
  • ダイアナ元妃

の計4人です。

 

この4人を乗せた車とパパラッチの車が違法的なスピードでカーチェイスをした際、他の車を避け切れず中央分離帯のコンクリートに正面衝突したとのことでした。

結果として、唯一シートベルトを着用していたダイアナ元妃のボディーガードのトレヴァー・リース=ジョーン氏以外の3人は事故が原因でなくなりました。

 

ダイアナ元妃は即死こそ免れたものの、懸命の救助活動むなしく内蔵の損傷が激しかったことが災いして命を落とすことになりました。

 

後日事実関係を調査した英機関によって、ダイアナ元妃を乗せた車のドライバーが薬を服用したうえでの飲酒運転だったことと、その車を執拗に追い回したパパラッチの両者に責任があったことを発表しました。

 

この件についてダイアナ妃の死去から20年経った2017年に息子であるヘンリー王子は、

「母親の死亡原因となったパパラッチは事故後その場にいたにも関わらず、母が息を引き取っていく様を撮り続けていた。」

という主旨のコメントを残しています。

弱冠12歳にして母親を失い人命よりもスクープを優先した異常と言える人間の存在とその写真に注目する人間の異常さを体感したヘンリー王子の当時の心境を想うと、言葉を失うとしか言えない気持ちになりますね。

 

ダイアナ妃の事故写真【本物】が流出した?事故現場はどこ?

2006年イタリアの週刊誌『Chi』がダイアナ元妃が事故に遭った直後救急手当を受け、車内で酸素吸入を受けている様子が収めた写真を掲載し話題になりました。

ダイアナ元妃が出血している様子がしっかりと分かるくらいのかなりショッキングな写真で、ダイアナ元妃の救助よりも写真撮影を優先したパパラッチの存在が明確でもあったので英国内では大問題になりました。

 

事件当夜レストラン『ブノア』で食事をとる予定だったダイアナ元妃とドディ・アルファイド氏ですがマスコミが待ち構えていたため、5つ星ホテル『ホテル・リッツ』で夕食をとりました。

その後、ドディ・アルファイド氏のアパートへ向かうため深夜に車に乗り込み、コンコルド広場からアルマ広場方面へと車を走らせていました。

 

パパラッチを巻くため135~150km/h程度の法外なスピードを出していたところ、アルマ広場のトンネル内で事故が起きてしまいました。

この写真はトンネル内での事故を克明に我々に訴えかけていますが、それ以上に我々の心をかき乱すのはこの写真をめぐる金銭の授受や思惑についてで正直嫌悪感しか感じません。

 

実際のところ、とあるカメラマンが英紙に対してこの写真を提供する代わりに30ポンド(日本円で約7100円)を要求していたという情報がありました。

事故当時撮影された写真はフランス当局により没収されており、それがために希少価値が上がった写真を高く売ってやろうという考えがそこには確かに存在しているのです。

 

この写真に対しては英国中から非難の声が殺到し、ウィリィアム・ヘンリー両王子からは異例の声明まで発表される事態となりました。

死者への冒涜ともとれるマスコミの態度は問題視され、のちの報道の倫理観に影響を与えました。

 

改めて私たちイチ視聴者側の人間も、ニュースの見方・受け取り方を考える必要性に気付かせてくれた事件と言えますね。

 

 

ダイアナ妃は暗殺された?陰謀論が噂される理由とは?

ダイアナ元妃の暗殺説が世に蔓延った最初の原因は他でもない、ダイアナ元妃の直筆の手紙が死後に見つかったことが発端となっています。

死の10か月前の1996年10月に書かれたその手紙の内容は、自分が巧妙に仕組まれた自動車事故によって命を落とすという予言めいた内容であったこと。

自分の死を望んでいたのはチャールズ皇太子であったなどという驚愕のものでした!

 

もともと事件には不可解な点が多く、

「大量の飲酒をしたドライバーの運転を同乗者はなぜ制止しなかったのか」

「複数の目撃者がダイアナ元妃の事故当時、事故を起こしたベンツの傍を白のファイアット・ウノが走行していたと証言した。にも拘わらずその車もドライバーも一切見つかっていない」

など、フランス当局の捜査結果に腑に落ちない点が存在することから、英国内では異議を唱える人が多く存在したのです。

 

また事故直後ダイアナ元妃の交際相手と報じられていたドディ・アルファイド氏の父・モハメド・アルファイド氏が、

「未来の英国王の母親がアルファイド一族の人間になるのを阻止するために暗殺したのではないか」

という内容の主張をしていました。

 

多くの点から懐疑的な見方をしていた英国民がいた中で件の手紙が見つかったことから事態は一気に動き出し、陰謀説の真偽を確かめるべくロンドン警視庁総監から徹底的に捜査する旨が発表されました。

では陰謀説とはどんなものがあったのか、注目していきましょう。

 

ダイアナ妃はエリザベス女王に暗殺された?

ダイアナ元妃がチャールズ皇太子との結婚関係が暗礁に乗り上げたときに泣きながらエリザベス女王に相談するも、救いの手が差し伸べられることはなかったと語った映像が存在します。

 

エリザベス女王はその時ダイアナ元妃が出来ることなど自分は分からないと伝えたうえで、

「チャールズは絶望的。」

とつれなく答えるに留めたとダイアナ元妃は映像内で語っていました。

 

かなりドライな対応ですが、ダイアナ元妃の死後英国王室の対応からもその傾向が見て取れます。

 

葬儀の前エリザベス女王がダイアナ元妃の遺体を英国王室が引き受けることに難色を示し、

「ダイアナは英国王室を去った人間だ。彼女の遺体は実家であるスペンサー家が引き取るべき。」

という旨の言葉をチャールズ皇太子に伝えたともされています。

 

ダイアナ元妃の死後声明を出すこともしなければ、事件の調査に対して積極的なわけでもない態度からエリザベス女王も徐々に批判の対象になっており陰謀説の発端にもなっていると見られます。

 

ただそこは一国の女王として、国民感情を熟知した存在。

英国王室に対する批判が加熱し始めると、追悼テレビ演説・大々的な葬儀・初めてパブを訪問するなど事態の解決に向けて柔軟かつ早急な対応を進めていきます。

 

さらに、ダイアナ元妃の葬儀では棺がエリザベス女王の前を通る際は頭を下げており、誰にも頭を下げない身分である人物の行動としてはかなりインパクトのある対応だったと言われています。

 

またエリザベス女王がダイアナ元妃の死後6日ほど経過したときに親しい友人に向けて書いた手紙には、

「ダイアナ元妃の死去を受け入れられない。英国にとって計り知れない損失。」

と記していたとされています。

以上のことからも、このエリザベス女王・陰謀説はあくまで噂の域を出ません。

 

ダイアナ元妃と言えば英国王室の慣例をことごとく打ち破っていった女性として知られています。

チャールズ皇太子との婚姻関係が破綻した際はその内情をリークした暴露本まで出版させている、かなり肝の据わった女性と言えるでしょう。

 

その点から見ても、エリザベス女王が「嫁として満点」とは到底思っていなかったとは思います。

ただ、女王という地位で長年公務をこなし人気もあるエリザベス女王が短絡的な感情の高ぶりで暗殺を計画するのは想像しがたいと言えます。

 

「あくまで英国・そして王室の繁栄が第一」という冷淡さ・その非情な判断が出来る器であるということが女王としてのプライドであるという一貫した態度に見えるのは私だけでしょうか。

本当にエリザベス女王が暗殺を企てたとしたら、もっと大きな何かが背後にある気がしてなりません。

 

 

首謀者はチャールズ皇太子の父親という噂も?

英国情報機関MI5のエージェントであるジョン・ポプキンス氏が

「自分がダイアナ元妃の暗殺を請け負った。」

という衝撃の内容を余命わずかのに告白したことが話題になりました。

その衝撃の内容は下記の3点にわたりました。

 

ポイント
①ダイアナ元妃の暗殺はエディンバラ公フィリップ王配(チャールズ皇太子の父)から直接依頼を受けたこと

②ダイアナ元妃は英国王室に対して大きな恨みを抱いており、英国王室の秘密を多く知ってしまったことから狙われる立場にあったこと

➂英国王室に関するニュースは報道規制をされており、ジャーナリストの誰もが真実を語っていないこと

 

これが本当であれば大問題であるわけですが、一体真実はどこにあるのでしょうか。

エディンバラ公フィリップ王配はもともと支配的な性格が指摘されており、毒親のような接し方でチャールズ皇太子に接していたという情報があります。

それに対してチャールズ皇太子は言いなりの状態で、自分の意志で何かを決めることはほぼなかったとされています。

 

それが一番象徴されるのが英国王室の恋愛・婚姻の問題でした。

カミラ・ローズマリー・シャンドがチャールズ皇太子との交際に見切りをつけ別の男性との結婚に踏み切ったことでチャールズ皇太子が傷心中にも拘らずダイアナ元妃との縁談を進めました。

 

思い悩んでいたチャールズ皇太子に対して、

「結婚して5年経ちそれでもカミラ・ローズマリー・シャンドがよければ愛人に迎えればよい。」

という主旨の言葉を告げたという情報もあります。

 

さらに、ダイアナ妃がウィリアム王子を出産した直後夫婦2人で育児に注力していた際にエディンバラ公フィリップ王配

「公務より育児を優先するのはありえない。」

と、チャールズ皇太子に告げチャールズ皇太子が次第に家庭をないがしろに扱うようになっていった結果、不倫に走ったという推測もあります。

 

以上の経緯から踏まえてエディンバラ公フィリップ王配がダイアナ元妃の暗殺を企てた決定的な証拠にはまだ遠いものの、確執めいたものがあっても不思議ではないという印象かと思います。

 

ダイアナ元妃の死の真相は未だ闇の中ですが、真相がどうであれ

“この負の連鎖をウィリアム王子・ヘンリー王子には断ち切ってもらいたい”

これがダイアナ元妃の切なる願いではないでしょうか。

英国民の心のよりどころであるはずの英国王室にこれ以上悲しい事件が起きないように願うばかりですね。


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