2018年9月16日に惜しまれつつ引退した安室奈美恵さん。
安室奈美恵さんは日本国内で知らない人がいないくらいのトップアーティストですが、安室奈美恵さんの母親の事件については知らない人が多いのではないでしょうか。
先日の3月17日は、実は安室奈美恵さんの母親の命日にあたる日だったのです。
というわけで、今回は安室奈美恵さんの母親の命日を迎えたということで、
今一度、安室奈美恵さんの母親についてや、事件の詳細、当時の安室奈美恵さんの状況について振り返りたいと思います。
安室奈美恵の母親(平良恵美子)はどんな人だった?顔画像は?
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安室奈美恵さんの母親は、平良恵美子さんといいます。
平良恵美子さんは、1998年9月に『約束‐わが娘・安室奈美恵へ‐』を出版したことで知られています。
そんな平良恵美子さんの顔写真はこちらです。
前にいる女の子が安室奈美恵さんで、後ろにいる女性が平良恵美子さんです。
目鼻立ちのはっきりとした、日本人離れした綺麗な方ですね!
それでは、平良恵美子さんがどんな人だったのか?気になる平良恵美子さんの生い立ちについても書いていきます。
安室奈美恵の母親(平良恵美子)はフィリピン系のハーフ
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安室奈美恵さん自身も、日本人離れした顔立ちとスタイルの良さが人気ありましたが、実はフィリピン系のクォーターだからという話があります。
ところが、調べてみると安室奈美恵さんが何系のクォーターかは、様々な説が飛び交っているようなんです。
平良恵美子さんが出版した『約束‐わが娘・安室奈美恵へ‐』によると、平良恵美子さんの母で、安室奈美恵さんの祖母の清子さんは、沖縄の歯科医師と離婚後、イギリス軍人と交際していました。
そのイギリス軍人と、清子さんの間にできた子供が、平良恵美子さんだったと言います。
つまり、平良恵美子さんはイギリス系のハーフで、安室奈美恵さんはそのクォーターということになりますね。
しかし、清子さんが平良恵美子さんを妊娠してまもなくイギリス軍人は帰国してしまったため、
詳しい素性まではわかっておらず、イギリス軍人はイタリア系イギリス人だったかもしれないとまでしかわかっておりません。
事実、清子さんも自身の家系についてわかっていないようです。
つまり、平良恵美子さんは、
- フィリピン系ハーフ
- イギリス系ハーフ
- イタリア系イギリス人とのハーフ
など様々な説があるようですね。
安室奈美恵の母親(平良恵美子)の生い立ちは壮絶だった
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母の清子さんが妊娠してすぐ、父にあたるイギリス軍人が帰国してしまうあたり、すでに平良恵美子さんは波乱の生い立ちであることがわかります。
『約束-わが娘・安室奈美恵へ‐』によると、平良恵美子さんは、自分の父親が白人であることしかわからず、幼少期はハーフであることを理由にいじめられ、つらい経験をしていたそうです。
今でこそ、多少は多様性が認められるようにはなりましたが、当時はハーフであること自体がかなり珍しかったのです。
清子さんは、女手一つで平良恵美子さんを育てないといけないので、昼間は米軍基地で、夜はスナックで働いて、必死に生活費を稼いでいました。
そうして、平良恵美子さんは地元のバス会社に就職したのですが、まもなく退職し、清子さんに内緒で上京してしまいました。
上京後は平良恵美子さんは、埼玉県の工場に勤めましたが、その翌年に沖縄県出身の会社経営者の甥と結婚することになり、沖縄に戻りました。
そして、平良恵美子さんは姓が安室に変わり、安室恵美子となりました。
平良恵美子さんは、安室奈美恵さんも含め3人の子宝に恵まれますが、平良恵美子さんの生い立ちが原因で、結婚生活は破綻してしまいます。
そして、母の清子さんと同様に、昼は保母の仕事、夜はスナックで働き、3人の子供のためを懸命に働いていました。
そんななか、スナックで働いていた平良恵美子さんに一目ぼれしたことをきっかけに、平良辰信さんと再婚しました。
以上のことからも、平良恵美子さんは生まれてから子供たちが一人前になるまで、とても苦労されていたことがわかりますよね。
よやく自分の幸せも大切にできると思った矢先に、凄惨な事件は平良恵美子さんを襲いました。
安室奈美恵・母親(平良恵美子)の事件真相!
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安室奈美恵さんは1997年10月22日に、TRFのダンサーSAMさんとの結婚・妊娠を発表し、産休後初のシングルを、「RESPECT the POWER OF LOVE」1999年3月17日に発売しました。
そんな安室奈美恵さんや、復帰を待ち望んでいた家族や関係者、ファンにとってめでたい日に、安室奈美恵実母 殺害事件は起きたのです。
平良恵美子さんはどのような経緯で殺害されたのか?
なぜ平良恵美子さんが狙われたのかなどの動機や、犯人の詳細についても書いています
。
安室奈美恵・母親(平良恵美子)が亡くなった事故現場は実家の沖縄
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1998年3月17日の午前10時40分頃、平良恵美子さんと再婚相手の平良辰信さんは出かけていて、沖縄県大宜味村喜如嘉の道路上で横断歩道を渡ろうとしたところ、突如、平良恵美子さんだけを暴走車が襲ったのです。
<犯行現場となった、沖縄県大宜味村喜如嘉の道路上あたり>
平良恵美子さんを車で轢いた人物は、なんと夫の平良辰信さんの実の弟で、平恵美子さんの義理の弟にあたる関係でした。
平良辰信さんは、思わず平良恵美子さんのもとへ駆け寄りますが、Uターンしてきた車に、今度は平良辰信さんも轢かれてしまいます。
平良辰信さんは、襲ってくる車から避けようとしましたが、ボンネットに乗り上げられてしまい、軽傷を負うこととなります。
その後、平良辰信さんはなんとか平良恵美子さんを近くの電柱の裏まで運び、車を回避しようとしたのですが、義理の弟は車を降り、
ナタのようなもので襲い掛かり、平良恵美子さんの顔を中心に何度も切り付けてきたそうなんです。
近くに落ちていた鉄パイプで、平良辰信さんも応戦しますがナタに適うはずもなく、やがて周辺住民が集まってきたことにより義理の弟は逃走しました。
のちに、平良恵美子さんと平良辰信さんは病院へ搬送されましたが、その時すでに平良恵美子さんが意識不明、心肺停止の状態でした。
そして、平良恵美子さんは同日の午前11時48分頃に亡くなりました。
マスコミには平良恵美子さんの死の一報が届き、詳細がわからなかったために、様々な憶測を呼んでしまう形となりましたが、
事件は義理の弟が山中で農薬による服毒自殺により死亡しているのが発見され、終息を迎えました。
安室奈美恵・母親(平良恵美子)を狙った犯人(叔父)の犯行動機とは?
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犯人の義理の弟は、平良辰信さんの実の弟とはいえ、平良恵美子さんと直接の血縁関係にはないのにもかかわらず、なぜ襲われなくてはいけなかったのでしょうか?
犯人である義理の弟は、何も語らないまま自殺してしまったので、真相は闇に消えたままと言われています。
ところが、平良辰信さんの記者会見により、いくつかの疑惑が見えてきたのも確かでした。
その中でも、最も有力だと思われるのが逆恨み説です。
以前から、平良恵美子さんと平良辰信さんと、義理の弟の関係は悪かったそうで、義理の弟は結婚した女性がいたそうなのですが、平良恵美子さんと平良辰信さんの反対により、破談になってしまったそうなんです。
平良辰信さんいわく、狙われていたのは平良恵美子さんではなく、自分の方で、結婚をダメにされた恨みではないかということです。
こちらの逆恨み説は名護警察署が公式に発表した犯行動機でもあり、まぎれもないものと言えるでしょう。
一方で、兄弟不仲説、三角関係説、安室奈美恵さんのお金をめぐる問題などの説があります。
平良辰信さんは、酒に酔うと平良恵美子さんを殴ることもあり、近くに合った義理の弟にかくまってもらったいたことから三角関係をにらむ人もいたようですが、もし兄弟不仲や三角関係なら、平良恵美子さんを狙わずに、真っ先に平良辰信さんを狙うに違いありません。
ところが、義理の弟には多額の借金があり、以前結婚を反対されていたのも、その借金が原因でした。
義理の弟の視点からすると、兄夫婦は安室奈美恵のお金で優雅な暮らしをしているのに、こっちには何の支えもないのか、、、
という恨みから、犯行に至ったという説も考えられます。
これでは、かなり義理の弟の身勝手な犯行に取れるようにも思いますが、犯行後に自殺に走ったことからも、相当な覚悟で平良恵美子さんと平良辰信さんを襲ったことがわかります。
二人の人間をいっぺんに襲うくらいですから、義理の弟は、普通の精神状態じゃなかったことだけはわかりますね。
母親(平良恵美子)の事件後の安室奈美恵の姿が辛すぎる
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母親の平良恵美子さんが亡くなった時、安室奈美恵さんは人気大絶頂で、まだ21歳ながら、SAMさんとの結婚など、公私ともに充実していたとも言えます。
そんなときに、母親の訃報を聞かされてはいてもたってもいられませんよね。
当然、安室奈美恵さんにとってもショックが大きく、憔悴しきった安室奈美恵さんは見てもいられないほどだったそうなんです。
ここでは、母親の訃報を聞かされてからの安室奈美恵さんの姿について書いていきます。
安室奈美恵は母親(平良恵美子)の訃報を知り急遽イベントを中止
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事件当日の1998年3月17日は、安室奈美恵さんの復帰後初シングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日ということもあり、安室奈美恵さんが出演する”nice One”のCM記者会見イベントを控えていました。
CM記者会見イベントは午後2時からの予定でしたが、午後0時ごろにマネージャーを通して、安室奈美恵さんには「母が事故に遭ったらしい」とだけ聞かされ、姉にも連絡が取れないことから、安室奈美恵さんは不安や苛立ちでいっぱいだったそうです。
そして、ようやく午後1時10分ころに安室奈美恵さんにも事件の詳細が届いたことで、直前にCM記者会見イベントの中止が発表されました。
大スター安室奈美恵さんの母の事件、またそれに伴う安室奈美恵さんのイベント中止により、マスコミも大きく取り上げられ始め、事務所や空港にはマスコミが大殺到していました。
安室奈美恵さんは全ての仕事をキャンセルし、すぐにでも沖縄へ向かおうとしますが、修学旅行シーズンということで航空券が取れず、安室奈美恵さんの那覇行きは午後4時ころのことでした。
これから幸せの連続だったはずなのに、突然訪れたどん底の不幸に、安室奈美恵さんはきっとかなりショックだったはずですよね。
安室奈美恵は母親(平良恵美子)の元へ向かう空港でマスコミに追い回される
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ようやく那覇行きのチケットを手に入れた安室奈美恵さんは、午後3時40分ころに羽田空港に、夫のSAMさんと一緒に到着しました。
ところが、羽田空港には既に150人以上の報道陣が待機しており、さらにそれを見ていた野次馬に囲まれる始末で、搭乗口へ進めないほどでした。
しかし、大スターの安室奈美恵さんを何とかカメラに収めようと、安室奈美恵さんの顔に向けられたカメラを、SAMさんが手で払うようなしぐさも見られました。
そのときの、安室奈美恵さんの様子がこちらです。
いつも可愛らしい笑顔を振りまいてくれる安室奈美恵さんからは、とても想像できないような表情ですよね。
安室奈美恵さんは当然憔悴しきっており、足元もおぼつかないうえに、報道陣にもみくちゃにされて転倒するような状態でした。
SAMさんに支えられて、なんとか搭乗手続きをしている姿が、連日ニュースで取り上げられていました。
しかも、ようやく登場した飛行機内も報道陣はひしめいており、安室奈美恵さんの心情に配慮した航空会社からは、機内での取材は控えるように、機内アナウンスをしたくらいです。
航空会社の配慮により、直接のインタビューはなかったものの、小型カメラにより安室奈美恵さんの着席から、降りるまでの一部始終は撮影されていました。
現代は芸能人にもいくらかプライバシーも認められるようになった気がしますが、当時は人の命がかかっていようと、スクープに必死だった報道陣の様子がうかがえますね。
安室奈美恵さんの追跡は、那覇空港にて待ち構えていた報道陣からも引き続き行われ、人ごみの中をパトカーに先導される形で警察署に向かうなど、異例の光景でした。
安室奈美恵は事件直後にヘイヘイヘイ出演!ダウンタウンの言葉が泣ける
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産休から復帰まもなくの事件だったため、安室奈美恵さんはしばらく休業に入るのではないかとされていました。
しかし、事件から12日後の1998年3月29日の『HEY!HEY!HEY!』の生放送にてテレビ復帰した安室奈美恵さんは、見事新曲の「RESPECT the POWER OF LOVE」を歌い切ったのでした。
安室奈美恵さんがステージに登場した瞬間、割れんばかりの歓声や、「安室ちゃん頑張れ」というプラカードをもつファンであふれていました。
https://youtu.be/mBaaBqrdjvc
また、司会のダウンタウンも緊張した面持ちで、「おっちゃんたちには何もできひんけどな……」と声をかけたそうです。
安室に対し開口一番、松本は「いやーこれは絡みづらい!」と言って、浜田も同調していたと記憶します。この突き放すような一言。一瞬だけ緊張感が走ります。しかしその後、「おっちゃんたちには何もできひんけどな……」と彼女の気持ちに寄り添うような発言もしていました。
それに、本番前に松本人志さんは安室奈美恵さんに、「俺が助けたるからな。絶対に辞めたらあかんで」と声をかけていたそうです。
それに対し、安室奈美恵さんは「すみません、ご心配をおかけしました。元気です」とだけ返しました。
このように、安室奈美恵さんとダウンタウンの二人には信頼関係があり、安室奈美恵さんは『HEY!HEY!HEY!』の出場記録54回を誇るほどです。
安室奈美恵さんは、ダウンタウンの二人にとっても、番組の立ち上げから一緒に頑張ってきた同志なのです。
いつもは口調が荒く感じるダウンタウンの二人ですが、安室奈美恵さんを支える優しさが感じられますよね。
安室奈美恵の母親(平良恵美子)の葬儀の様子は?お墓はどこにある?
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1998年3月18日には、平良恵美子さんの実家にて仮通夜が行われ、3月19日に出棺、3月20日には告別式が行われました。
1998年3月18日の仮通夜では、前日は悲しみのあまり一睡もできなく、憔悴しきっていた安室奈美恵さんの姿が見られました。
また、実家の前には多数のスタッフのほか、警備員も配置されて、報道陣は家から50m以内立ち入り禁止という厳戒態勢だったため、仮通夜の様子は明らかになっていません。
後日の事務所関係者によると、安室奈美恵さんは平良恵美子さんを見つめて、ただ大粒の涙を流していたそうです。
そして、平良恵美子さんに残る傷や血を、自分から流れる涙でふき取っていたと言います。
1998年3月19日の出棺は一切マスコミをシャットアウトして行われましたが、3月20日の告別式には、沖縄県内の式場にやはり大勢の報道陣が詰めかけ、時より生中継されていました。
あくまで平良恵美子さんは一般人にもかかわらず、生中継するなんて、人の命を何だと思っているのでしょうか。
平良恵美子さんの告別式には、小室哲哉さんらを始め、安室奈美恵さんの先輩や後輩からも多く花輪が贈られ、平良恵美子さんの死を悼みました。
式場では、唯一安室奈美恵さんの代表撮影が許され、告別式終了とともに、写真や状況が公開されました。
https://youtu.be/yqLkIgR-0Cw
安室奈美恵さんはSAMさんと向かい合わせに座り、時折遺影を眺めながらも、無表情のまま悲しみをこらえるように笑っていたようです。
むしろ、隣で号泣する姉を気遣うような素振りを見せていたともあります。
安室奈美恵さんの名前が呼ばれた時は、7秒間遺影の正面で頭を下げ、告別式が終了すると、すぐさまSAMさんと一緒に、安室奈美恵さんは会場を後にしました。
ちなみに、喪主は平良恵美子さんの長男がつとめ、お墓まで全て管理しており、平良辰信さんは一切関与していないそうです。
そのため、平良恵美子さんは一般人ということもあり、お墓の場所も明らかにされていません。
今でもお参りに行きたいという安室奈美恵さんのファンがいるようですが、事件で母親を失った家族の悲しみは計り知れませんから、そっとしておくのが本当のファンなのかもしれません。
というわけで、今回は安室奈美恵さんの母親にまつわる事件について調べてみました。
正直、筆者は売れてだいぶ経ってから安室奈美恵さんを知ったので、平良恵美子さんについては詳しく存じ上げませんでした。
しかし、見事現役生活をやり遂げた安室奈美恵さんの強さや若さは、様々なことを乗り越えた末にあるのだと感じました。
今後安室奈美恵さんを見れないのは寂しいですが、ぜひ充実した第二の人生を歩まれることを祈っています!
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